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ヒラノヤではプリント基板を高価買取しています。

2016/05/02 日記

本日は定休日!

といってもGWの真っただ中ですが。

皆さまはどうお過ごしでらっしゃいますでしょうか??

私は本日は、普段忙しく満足に遊んであげれていない愛娘を連れて凧上げに行ってまいりました。

走る愛娘

凧上げなどしたのは何年ぶりでしょうか?小さい頃に正月にした以来です。

で、ヒマなので調べてみました。

 

 

凧あげとは…

“半ば伝説的だが、中国で最初に凧を作った人物は、後代工匠の祭神として祭られる魯班とされている[2]。魯班の凧は鳥形で、3日連続で上げ続けることができたという。ほぼ同時代の墨翟が紀元前4世紀に3年がかりで特別な凧を作った記録がある。魯班、墨翟のどちらの凧も軍事目的の凧だった。

 

(中略)

 

日本では、平安時代中期に作られた辞書『和名抄』に凧に関する記述が登場し、その頃までには伝わっていたと思われる[3]。14世紀ころから交易船によって南方系の菱形凧が長崎に持ちこまれはじめ[4]、17世紀には出島で商館の使用人たち(インドネシア人と言われる)が凧揚げに興じたことから、南蛮船の旗の模様から長崎では凧をハタと呼び菱形凧が盛んになった[5][6]。これは、中近東やインドが発祥と言われる菱形凧が14、15世紀の大航海時代ヨーロッパに伝わり、オランダの東方交易により東南アジアから長崎に広まったものとされる[1]

江戸時代には、大凧を揚げることが日本各地で流行り、江戸武家屋敷では凧揚げで損傷した屋根の修理に毎年大金を費やすほどだった[3]。長崎でも、農作物などに被害を与えるとして幾度となく禁止令が出された[5]。競技用の凧(ケンカ凧)には、相手の凧の糸を切るために、ガラスの粉を松ヤニなどで糸にひいたり(長崎ビードロ引き)、刃を仕込んだ雁木をつけたりもした[3]明治時代以降、電線が増えるに従い、市中での凧揚げは減っていくが、正月や節句の子供の遊びや祭りの楽しみとして続いた。

凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「イカ」「いかのぼり」(紙鳶とも書く)と明治初期まで呼ばれていた。江戸時代になると「紙鳶」と書いて「いかのぼり」と読むようになった。「いかのぼり」を売る店もあり、日常的に遊ぶ娯楽になった。しかし「いかのぼり」を揚げている人同士でケンカになったり、通行の邪魔になったり、大名行列の中に落ちたりといった問題も起きていた。1650年代に「いかのぼりあげ禁止令」や「タコノボリ禁止令」などの高札が立ち、この頃から「たこ」という呼び方に変わった。凧が「タコ」や「イカ」と呼ばれる由来は凧が紙の尾を垂らし空に揚がる姿が、「」や「烏賊」に似ているからという説がある。”

(wikipediaより抜粋)

 

 

…なるほどね。あの紙の尾がイカやらタコやらに似てたから「タコおよびイカ」なんですね。

 

最近は見てもスポーツカイトくらいで和紙で出来てるのなんかはほとんど見かけませんが、、、利便性を追求する西洋文化によって古来よりの日本文化が失われていくのは本当に寂しい限りです。ので私は子供にはDSは買いません!!(> <)

 

話は戻りますが、イカおよびタコ上げ、してみると大人の私でも結構面白い!風に乗って飛ぶ飛ぶ、ボーっと立ってるだけで糸はビュンビュンと出ていき、それはそれは高く上がりました。糸がフルで出来って50mくらい?もうアンパンマンの柄などほとんど見えません。点でした。

久方ぶりのイカおよびタコ上げ、とても新鮮でした。

また連れて行ってあげようと思います。

 

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